アキイソ上飯島撮り鉄

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秋田地区キハ40定期運用離脱から1か月

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 こんばんは!今日は4月12日。そう、1か月前の今日はキハ40定期運用ラストランの3月12日でしたね。あっという間に1か月が立ってしまったような気がします。僕はいまだにとても寂しく悲しい気持ちは変わりません。僕が子供の頃から約44年間もこの車両にお世話になってきたことに変わりはないからです。僕がまだ小学生から中学生だったころは国鉄末期でした。ちなみに登場からキハ40の車両は一番下の写真のキハ40と同じ国鉄首都圏色ことタラコ色でした。僕が子供の頃は当たり前のことで特に珍しいとは感じませんでした。

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 1か月前までには秋田地区のキハ40には全国でここだけのタブレット防護柵付きの車両もいました。それも同様です。国鉄時代は今のように自動閉塞ではなくスタフ閉塞やタブレット閉塞だった為、スタフやタブレットの受け渡しを行う必要があったからです。なぜタブレット防護柵が必要だったかといいますと駅通過時の走行中のタブレット交換の際、受け取る側がタブレット授受器を使用する・手で受ける際、タブレットキャリアが車体を叩くことがあるからで、この衝撃で窓ガラスが割れない用にする為に取り付けていました。現在、タブレット交換が行われているのは由利高原鉄道くま川鉄道のみなので今ではタブレット交換自体が珍しいのです。「あれっ?なんで五能線タブレット交換が行われていないのにタブレット防護柵が付いてるの。」と思う方もいるかもしれませんがはっきり言って復元的なものです。観光客や鉄道ファンに懐かしい気持ちを味わってもらうためのいわゆるサービスと言ってでもよいでしょうか。

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 男鹿線のキハ40も昔のものになってしまいましたね。僕が二十歳の頃は旧秋田支社色でした。もうあの塗装のキハ40も二度と見れないんですね…。

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 五能線色のキハ40も二度と定期運用で走っている姿は見れないんですね…。

僕にとってキハ40は何か特別な存在です。キハ40が元気に走っている姿を見て落ち込んでいた時や仕事がうまくいかないときに励まされたことも幾度となくあります。また、高校生時代はこの車両に乗って列車通学していました。月曜日の朝は正直、学校に行きたくないと思う日もありました。でも、「キハ40が僕を待っている。キハ40も頑張っているし自分も頑張らなきゃ!」と考えるとやる気がとてもわいてきました。そして、学校帰りの疲れた日はボックスシートで僕の体を癒してくれました。なんだか僕を長い間、陰で見守ってくれたとしか思えません。そんな車両が引退するのは僕にとっても言葉に表現できないほど辛い別れです。そんな車両だからこそもっと末永く活躍してもらったかったのです…。キハ40が秋田地区で活躍したのは約44年間でしたが僕にとっては何だか短いようにも感じます。

キハ40の最後の雄姿を収めた動画のリンクを下に貼っておきましたので是非ともご覧ください。

www.youtube.com

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